衛生情報
題名 :PCR法による家畜の疾病診断
筆者 :和田山家畜保健衛生所 主査
丸尾 喜之
 
 近年、バイオテクノロジーの進歩により、遺伝子を扱う技術が急速に進歩してきた。家畜衛生の分野でも、この技術が取り入れられ、遺伝子による診断方法が次々と開発されつつある。当所にも平成9年度に遺伝子診断機器としてPCR(Polymerase Chain Reaction)装置が整備され、病性鑑定業務に活用されているので、その概要について紹介する。
 
1.DNAについて
 
 生物は、その遺伝情報をDNAの中に持っており、遺伝子診断では、目的とする病原体のDNAを検出することで疾病を判断する。
 DNAは、塩基が結合した糖とリン酸が交互に繋がった鎖状をしている。糖に繋がった塩基は、アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)の4種類で、この塩基の並び方が遺伝情報をコードする暗号となっている。
 普通の状態のDNAは、特定の塩基同志(AとT、GとC)が結合したはしご状構造をしており、2本鎖DNAと呼ばれている。2本鎖DNAの塩基対結合は弱く、熱処理によって容易に離れるが、冷やすと再び元の状態に戻る性質があり、PCR法では、DNAのこの性質を利用している。
 
2.PCR法について
 
 PCR法は、1985年に開発された方法で、温度変化によってDNAが解離と再結合を繰り返す性質を利用して、耐熱性のDNA合成酵素(DNAポリメラーゼ)と供に規則正しい熱処理を繰り返すことで、長いDNAの中から特定の領域だけを増幅することができる。
 DNAポリメラーゼは、1本鎖のDNAに対して相補的な塩基配列のDNAを一定方向(5‘→3’)に合成していくが、この酵素が作用するためには、起点となる部分が必要となる。これがプライマーと呼ばれる20塩基程度の1本鎖DNAで、増幅したい領域の両端に設定するが、プライマーの設計はPCR成功の鍵を握るため、病原体の遺伝子解析結果に基づいてコンピューターソフトで行われている。
 PCRでは、まずサンプルから抽出した鋳型となるDNA(テンプレート)に熱(約94℃)を加え、1本鎖DNAに変性させる。次に温度を下げ(約55℃)、プライマーをテンプレートに結合させる(アニール)。そして、温度を少し高めて(約72℃)、DNAポリメラーゼで新たにDNAを合成する。(1)熱変性→(2)アニール→(3)合成の1サイクルで、プライマーに挟まれたDNA領域は2倍に増え、次回反応のテンプレートになる。これを30サイクル程度繰り返すことで、目的のDNA断片が2の30乗倍程度に増えることになり、アガロースゲル電気泳動などにより確認できるようになる(図1)。
 
図1 PCRの原理
3.PCRの実際
 
 実際の操作では、テンプレート、DNAポリメラーゼおよびバッファー、DNA合成原料となるdNTP、プライマー2種類を反応チューブに加え、PCR装置にセットするだけなので、1〜2日で病原体の確認ができるようになる。
 現在、当所で主に活用しているのは病原性大腸菌の検索である(図2)。
 
図2 病原性大腸菌のPCRによる検索
 
 大腸菌の中に易熱性エンテロトキシン(LT)、耐熱性エンテロトキシン(ST)、ベロトキシン(VT)といった下痢を引き起こす毒素を産生するものがあるが、毒素の確認は煩雑なので、これまで殆ど行われていなかった。しかし、PCR装置の導入により大腸菌の毒素産生能が容易に判定できるようになり、子豚の早発性大腸菌症の診断やベロ毒素産生性大腸菌の確認に利用されている。
 管内繁殖豚農家で見られた大腸菌症の事例では、20日齢の子豚が下痢で衰弱死するということで、細菌検査を行った結果、子豚の下痢便からK88線毛抗原を持つ大腸菌を分離し、PCR法によりLT、ST遺伝子の保有を確認した。そこで分娩室の消毒とワクチン接種および母豚管理の適正化を指導し、被害の拡大を防ぐことができた。
 
4.今後の活用について
 
 PCR法では、臓器や血液中にある微量の病原体のDNAを増幅することができるので、分離培養の結果が判明する前に病原体の推定が可能である。特殊な培地が必要なため培養が困難であったり、長期間の培養を必要とするヨーネ菌やマイコプラズマ等は、診断までの時間が大幅に短縮されると思われる。また、ネオスポラ等の原虫症では、組織中の虫体の確忍も容易になると思われる。ウイルス性疾病についても、分離には特別な施設が必要で、従来は主にペア血清による抗体価の上昇で診断していたが、PCR法の応用で、発生初期の診断が可能になると思われる。
 ウイルスや細菌の中には、同一種であっても血清型の違いや病原因子の有無により病原性が大きく異なるものもある。このような場合にも、遺伝子の違いを比較するためにPCR法による鑑別が有効になると考えられる。
 PCR法では、微量のDNAを増幅するので試薬や器具の汚染に細心の注意を払わなければならないが、基本的な操作は殆ど同じであるため、プライマーが入手できれば、どのような疾病にも対応が可能である。キットとして市販されているプライマーの種類は、まだまだ少ないが、様々な疾病に対してPCR法による診断が検討されており、プライマーも次々と発表されている(表)。プライマーは、メーカーに発注して作ることもできるので、家畜保健衛生所での新たな診断法として、これから応用範囲も広がっていくと思われる。
 
表 家畜保健衛生所で保有しているPCRプライマー
 
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